木挽町通り

木挽町通り

歌舞伎座の位置するあたりには、慶長17(1612)年に三十間掘という掘割が造られ、その東側に木挽き職人が住んでいたため「木挽町」(こびきちょう)と呼ばれていました。
「木挽」とは・・・・・木材を大鋸(おが)でひき切ること。また、それを職とする人を意味します。
多くの人たちが住み繁栄していた寛永の頃、山村座・河原崎座の芝居小屋ができ、その後も続々と芝居や見世物小屋が木挽町に集まり、芝居は木挽町になくてはならないものになりました。
しかし、天保12年(1889)、天保の改革によって、堺町葺屋町の中村座・市村座とともに木挽町の森田座・河原崎座も浅草猿若町へ移転してからは、芝居町としての賑わいに陰りがみえてきます。
しかし、それから明治維新を経た、明治22年、新たな芝居小屋として歌舞伎座が設立され、ふたたび木挽町に芝居の伝統の灯がよみがえります。